ノリタケの歴史とオールドノリタケ

History and EARLY NORITAKE

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オールドノリタケ
ノリタケ 大倉陶園の食器とギフトノリタケの歴史とオールドノリタケ
ご注文方法と特定商取引法
《ノリタケの歴史は日米通商史》
ノリタケの製品は気品溢れる形とデザインで長い間世界中の方々にノリタケチャイナの愛称で愛され続けてきました。ノリタケは今日、日本を代表し世界的にも非常に高い評価を得ていますがノリタケの創業期には血の滲むような困難に立ち向かい克服してきた歴史があります。ここではノリタケの歴史とオールドノリタケの素晴らしさをご紹介します。
~ノリタケ(森村組)設立の陰に、福沢諭吉のアドバイス~
ノリタケ(1981年に日本陶器からノリタケカンパニーリミテドに社名変更)は1904年(明治37年)に設立されましたが、その始まりは江戸時代末期まで遡ります。江戸で馬具商を営んでいた六代森村市左衛門はペリー来航以来、欧米から様々な文化が流入する一方で日本の金が海外に流出し、日本の国力がどんどん弱くなってしまうことを憂慮していました。
1858年(安政5年)、日米修好通商条約批准のためアメリカに派遣された幕府使節団のために、日本円を当時の国際通貨であるメキシコドルに換金する仕事を引き受けた際、貨幣の交換比率が悪く、日本は損をしていることに森村市左衛門は気づいていたのです。また、横浜で舶来品を買って江戸で売る商売も手掛けていたため、横浜で日本の金銀が安く買われて外国へ流出していく様子も見ていました。
そこで、森村市左衛門は師と仰ぐ福沢諭吉に相談し、国外に流出した金を取り戻すには輸出貿易で外貨を稼ぐのが一番だとの助言を得ました。この福沢諭吉のアドバイスにより、森村市左衛門は輸出貿易に乗り出す決意をします。長い鎖国時代が明けたばかりで、まだまだ海外は遠い存在だった時代のことでした。
~モリムラブラザーズ=在米日系商店の草分け~
1876年(明治9年)、森村市左衛門は貿易商社『森村組』を設立し、弟の森村豊(とよ)をニューヨークに派遣しました。豊は、ニューヨーク六番街238番地に、『MORIMURA BROTHERS(モリムラブラザース)』という輸入雑貨店を開き、日本から送られてくる陶磁器や漆器、印籠、屏風、掛軸、団扇などの伝統的な日本の雑貨を販売しました。それらは非常に人気が高く、当時のアメリカ人客は日本から荷物が届くのを待ちかねるようにして買っていきました。
商品の仕入から荷造り、輸出書類の作成まで、森村市左衛門は孤軍奮闘していましたが、日本製品を海外に売って外貨を稼ぎ、日本を富める国にしようという森村市左衛門の思いに共鳴した大倉孫兵衛、大倉和親(大倉孫兵衛・大倉和親の父子は後に大倉陶園を設立します)、村井保固、広瀬実榮らが次々に森村組に加わりました。
明治維新後まもなく、『モリムラブラザース』を在米拠点として始まったこの輸出貿易は、日米貿易の草分けと言われています。

《苦心したディナーセットの開発》
~白い洋食器を作ろう ノリタケの設立~
アメリカでは陶磁器の人気が高く、今後の有望な商品になると感じた森村組では、自分たちで製品を作り、販売することを決意します。当時輸出していた陶磁器は、花瓶や置物など、有田焼や清水焼に代表される純和風なデザインでしたが、商売を拡大するためには、日常使用する食器で、しかも白い生地に洋風な画付けをする必要があり、また当時の生地はアメリカで望まれていた白生地とは異なっていたため、純白なものでなければ食器としては不適当であると忠告を受け、先ず純白な生地への改良に取り組みました。また、パリ万博で見た白い陶磁器にも感銘を受け、ドイツなどヨーロッパに技術者を派遣して、生地を白く改良する研究を続けましたが5年の歳月を経過しても目標とする白生地の生産は一歩も前進せず、研究と開発は困難を極めました。
白生地の研究に苦闘している1902年(明治35年)にロンドンのローゼンフェルト社のB.ローゼンフォルト社長が『金盛の絵付けを教えてほしい』とにニューヨークのモリムラブラザースを訪ねて来ました。早速、金盛の絵付け方法を教えたのです。一方、白生地の製造に困窮していることを打ち明け助言を仰いだのです。
ローゼンフォルト氏の理解と好意でオーストリアのカールスバットの工場の視察とドイツのゼーゲル試験場のヒヘト博士を訪問することが出来、白生地の原料の配合と釉薬調合の手順の教えを受け白生地の製造は大きく前進しました。その後、度重なる研究の結果、天草陶石54、蛙目(がいろめ)粘土23、長石23の割合で配合することが最適であることを見極め永年の目標であった白生地の完成を見ることが出来ました。白生地の製造を決意してから既に10年の歳月が流れていました。後にこの白生地は陶磁器窯業の業界で『日陶の3・3生地』と言われるようになりました。
そして白生地の完成を見た森村組は1904年(明治37年)1月1日、ノリタケカンパニーの前身となる日本陶器合名会社を愛知県愛知郡鷹羽村大字則武字向510(現在の名古屋市西区則武新町)に設立し、ここに日本の近代陶業が始まったのです。『ノリタケ』の名は、この地名にちなんで付けられ、商標も由来しています。
多年の願望であった白生地が完成されたので、この時点で瀬戸から購入していた灰色を帯びた生地は全て廃止されました。
~割って分かった平らな皿の秘密~
白い生地はできるようになったものの、日陶の3・3生地ではディナーセットの基本である25cmの大皿をどうしても作ることが出来ませんでした。25cmの大皿の製造は困難に困難を極めました。大皿自体は、以前から日本でも製造されていましたが、底が平らな大皿を作るのは至難の技だったのです。
一つ一つ形が違うことに味わいを見出す和の文化・和食器とは異なり、洋食器は均一性を重んじる食器です。形がバラバラな食器では売れないため、真っ直ぐな底のディナー皿を作ろうと研究に研究を重ねていたある日、行き詰った社員が、フランスから取り寄せた見本皿を床に叩き付けて割ってしまいました。その割れた断面を見た時、皿の中央部分が分厚く作ってあることに気付きました。皿の中央がへこんだり盛り上がったりするのを防ぐため、これまで、できる限り真ん中を薄く作ろうとしていたことが、却って底が平らな皿を作れなかった原因だったと分かったのです。
ノリタケ25㎝皿
日本陶器(現在のノリタケカンパニー)創立から10年の時を経て、1914年、ついに日本初のディナーセットができあがりました。その第一号ディナーセット『セダン』は、ノリタケカンパニーが100周年事業の一環として本社敷地内の工場跡地にオープンさせた『ノリタケの森』のミュージアムで目にすることができます。
さらにノリタケは1933年に日本で初めてボーンチャイナの製造に成功しました。
イギリスで生まれたボーンチャイナの製造は『一般の磁器に比べ製造コストが高い』 『ボーンアッシュの製造や坏土の調合、焼成などに非常に高度な技術を要する』といった問題が多かったのです。ノリタケは1932年にボーンチャイナの研究を始め翌年の1933年にはボーンチャイナの試作品を完成させました。
ノリタケのボーンチャイナの本格的製造は1935年に始まり1938年頃にはノリタケのボーンチャイナ製ティーセット等が北米等に大量に輸出されるようになりました。
オールドノリタケ 手描花瓶
ノリタケチャイナは幾多の困難にも挫けず、ひたすら未来を信じ邁進したノリタケの先駆者たちの熱い思いの結晶です。
近年のノリタケは伝統的でフォーマルなデザインの食器やインテリアだけでなく、幅広い世代・男女を問わず愛されるとなりのトトロなど新しい感覚の食器、ノリタケチャイナやノリタケボーンチャイナ以外にも強度と安全性に優れたプリマデュラ、電子レンジ・オーブン・食器洗浄機に対応したプリマチャイナ(アーズンウェア)などの新しい素材の食器なども生産し、それらは人気の商品として販売されています。
そして今、長年にわたり培ってきたノリタケの食器製造技術から、様々な技術や素材が派生し、現代のセラミック産業に発展しています。衛生陶器のTOTO、電力用碍子の日本ガイシ、蛍光表示管のノリタケ伊勢電子(Noritake Itron)、スパークプラグの日本特殊陶業、世界に誇る日本の高級食器の大倉陶園などは全て日本陶器(現在のノリタケカンパニー)から独立した企業で創始者の名を冠して『森村グループ』と呼ばれ、世界最大のセラミックス集団を形成しています。

《オールドノリタケ》
~オールドノリタケとは(1) オールドノリタケの定義~
オールドノリタケ(英語圏での一般的な表記は “ EARLY NORITAKE ” )とは、その年代をはっきりと限定することはできませんが、1800年代の末から第二次世界大戦前後頃まで、ノリタケカンパニーの前身である森村組と日本陶器で作られ主にアメリカへ輸出された装飾品(花瓶、壷、陶製人形、置物、陶製化粧セットなど)とテーブルウェア・ディナーウェアの総称です。
それらオールドノリタケの製品群は、工業的に優れた技術力と伝統的な感性、テクニックが融合した芸術作品として高い評価を受け、現在では骨董愛好家から『オールドノリタケ』とよばれる人気の高いコレクターズアイテムです。
オールドノリタケ大花瓶
それらのオールドノリタケは大きく2つに分類されます。
1つは1885年(明治18年)頃から1935年(昭和10年)頃までに主にアメリカに輸出された日本的なデザインの商品を含むアールヌーボーを中心とした西洋画風のグループで、もう1つは大正末期頃から昭和初期頃の短い間に流行したアールデコのグループです。
( 1 ) アールヌーボー様式
オールドノリタケの1910年代までの初期の作品の特徴はは手造りで複雑な曲線を持ち、花や樹木などの自然をモチーフにし、淡いパステルカラーを基調とした点で、当時流行したアールヌーボー様式の影響を強く受けています。
初期の作品は花瓶やキャンディーボックスなどでしたが、次第にコーヒーポットなども生産されるようになりました。
その後、1914年にはわが国最初のディナーセットを完成させました。当時の商品はアメリカやヨーロッパ向けの輸出が殆どでしたが、しばらくすると欧米風の商品が宮内省や海軍省、また一部のホテルやレストランにも販売されるようになりました。この頃の製品の殆どは当時では最高クラスのグレードで、デザインも日本の花鳥画の技法が欧米のデザインと融合した特異なものでした。
( 2 ) アールデコ様式
大正時代末期の1922年頃から昭和初期の1929年頃の短い間にかけてはそれまでのオールドノリタケのような高級な装飾品ではなく、機械によって大量生産が可能なファンシーウェアが生産されました。これらはオールドノリタケの中でもオールドノリタケファンの間で大変に貴重なコレクターズアイテムとして強い人気を集めています。
オールドノリタケがこれほどまでに愛されている訳は近代陶芸の研究家であるニューヨーク大学美術部のジュディオス・シュワルツ博士によれば、ノリタケとノリタケの製品が工業的に優れた技術を持ち、装飾の複雑さと完成度の高さ、熟練した筆使い、鮮やかな色彩の配列などが他の美術品をはるかに越えて凌駕している為だということです。

オールドノリタケとアールヌーボー・アールデコについて

1.オールドノリタケとは(2)

オールドノリタケとは明治18年(1885)年頃から、昭和の第二次世界大戦前後までに現在のノリタケカンパニーを設立した森村組と日本陶器(現ノリタケカンパニー)が製造し主にアメリカやイギリスに輸出され、一部は日本国内でも販売された食器とファンシーウェアを言います。
オールドノリタケで言う、ファンシーウェアとはもともとは装飾品として作られたもので、花瓶・絵皿・陶製の人形や置物、化粧台セット、さらにはコーヒーセットやディナーセットを含めた総称です。
それらの製品や、このサイトで販売しているオールドノリタケの中には100年以上前に作られ時が流れた作品も多く含まれます。
オールドノリタケと言われる製品のルーツは江戸幕府で両替の仕事を任された森村市左衛門が、福沢諭吉の教えから海外に流出した金を海外から輸出貿易によって取り戻そうと、弟の豊(とよ)をニューヨークに送り日之出商会(後のモリムラブラザース)を設立しアメリカとの貿易を始めたことに遡ります。
この初期の輸出貿易は日本の骨董、印籠、屏風、さらに漆器や陶磁器などでしたが、明治15(1882)年頃になると陶磁器が人気を集め始めました。西洋の文化・デザインとは異なる侘び寂びのある徳利が花瓶として使われたりしていることから森村兄弟は陶磁器が有望な商品になると察し、実際にそれらの瀬戸や美濃で作られた陶磁器が主力な商品となりました。
さらに明治18(1885)年頃に、それら陶磁器を自ら生産・販売しようと考えました。
そこで、初めは瀬戸や名古屋、東京、京都などの職人たちと契約をし、瀬戸から各地に送った生地に絵付けをし輸出しました。それらの当時作られた極めて初期のオールドノリタケは有田焼・九谷焼・清水焼などに見られる日本的デザインの物でした。文化の異なるアメリカで販路を広げ拡大するには欧米人が好む欧米のデザインを取り入れなければならないと気付き、デザインの洋風化を勧めますが日本的な絵しか描いたことのない絵付け職人たちの反発もあり苦難が続きました。
時間を掛け職人を説得し、デザインを洋風化に変更させることに成功し、生産の効率を図るために絵付け工場を名古屋に集約しました。
当時そこで作られていたオールドノリタケは花瓶・絵皿・陶製の人形や置物、化粧台などのファンシーウェアが中心でしたが、ニューヨークのモリムラブラザースでは今のファンシーウェアだけでは将来的には販売が先細りになることを感じ、また瀬戸の生地は灰色がかり白さが足りなくアメリカ人には不評であることから議論を深め、もっと白い生地で生活に密着した食器が有望であると結論し、さらに取引先の百貨店からも白い生地のディナーウェアが良い、白い生地でなければ食器としては適当でないとの意見もあり、白い生地の食器の開発に取り組むことになりました。
森村組は名古屋の絵付け工場内に試験窯を作り開発と改良に取り組み、開発のためにドイツに技術者を派遣したりしましたが、5年の月日が過ぎても納得のできる白生地を作ることが出来ませんでした。
白い生地を作る研究開発を進めている時に、イギリスのローゼンフェルト社からオールドノリタケの得意な技法である金盛を教えて欲しいと依頼されます。そして、モリムラブラザースは金盛の技法を指導し、同時に自分たちが抱える問題である白生地製造の問題を相談しました。
ローゼンフェルト社と社長ローゼンフェルト氏の厚意でドイツやオーストリアの工場や試験場で原料や釉薬の配合などんお指導を受けました。その甲斐があり、開発を始めてから10年が過ぎ白生地の製造に成功しました。
長年の夢であった白生地を完成させ、それまで瀬戸から仕入れていた以前の生地はその時点で全て使用されることが無くなりました。
しかし、侘び寂びを大切にする文化はヨーロッパの食器で大切にされる均一性とは全く反対の文化です。また、洋食の基本であるディナー皿を平らに作ることが出来ませんでした。
技術者を再びヨーロッパに送り、国内では生地の組成や成分、原料の配合、焼成の試験などを何年もの間研究を重ねますが平らなディナー皿を完成させることが出来ません。そんなある時、1人の技術者が誤って見本である平らなディナー皿を割ってしまいました。
すると、平らな皿を作るために生地を極めて均一に作ろうとしていた物の中心部が厚く作られていたことを発見します。ここから新たに研究と試作を重ね、大正2(1913)年、ノリタケは念願であったディナー皿の製造に成功し翌年にはディナーセットが輸出されました。
それまでのノリタケは独自のディナーウェアを持っていませんでしたので、輸出されていたオールドノリタケは花瓶や絵皿、置物などが殆どでした。
それらのオールドノリタケのファンシーウェアは大きく2つに分類されています。
1つは明治18(1885)年頃から昭和10(1935)年頃まで主に北米向けに輸出されていたジャポニズムと言われる日本的なデザインを持つ商品を含むアールヌーボーを主にしたヨーロッパ風のオールドノリタケのグループ(以下オールドノリタケ・アールヌーボー様式と言います)。
もう1つは大正末期から昭和初期の極めて短い期間に人気を集めたアールデコ調のオールドノリタケのグループ(以下オールドノリタケ・アールデコ様式と言います)です。

2.オールドノリタケ・アールヌーボー様式

アールヌーボー様式のオールドノリタケの大きな特徴と魅力はその多くの製作技法にあります。
その技法は A.盛上げ B.ビーディング C.金盛り D.モールド E.エッチング F.タペストリー G.エナメル H.転写  など多岐に渡ります。
A.盛上げ
オールドノリタケ 金盛り
盛上げは陶磁器の表面を立体的に盛上げて装飾する技法でイギリスのウェジウッドのジャスパーウェアに見られるような貼り付けによる盛上げや、刷毛を使った盛上げなどがあり、日本にも古来から伝わる陶磁器の表面を立体的に装飾する技法です。
オールドノリタケの場合には、ケーキに生クリームを盛り装飾する方法と同じ理屈で粘土を一陳(イッチン)と呼ばれるチューブのような道具から絞り出して盛り付ける方法が多く取り入れられました。
一陳とはこの道具を考案した久隅守景(くすみもりかげ)の別名に由来し一陳齋(いっちんさい)とも言われます。一陳は柿渋を施した繊維の強い紙または布で泥漿(でいしょう 原料の粘土を液状にしたもの)を絞り出す方法で、現在その技術は京都や金沢の友禅染の染糊に見ることが出来ます。
B.ビーディング
オールドノリタケ ビーディング
  ビーディングとは、和陶の世界では粒(チブ)と呼ばれる一陳による細かな粒状の盛り上げを多数一面または限られた範囲に展開盛り上げて装飾する方法で、製品の繊細さと気品を高める効果があります。
この粒による細かな盛上げは金を打つもの、色を施した泥漿を打つ方法などがあります。カップソーサー、花瓶などオールドノリタケの多くの製品に見ることが出来ます。
     
C.金盛り
白色泥漿で盛り上げた生地を下地にして刷毛や筆を用いて金を装飾し、800℃の温度で焼成すると盛り上がりと周囲の金を塗った部分に金色に輝いた膜が出来上がります。オールドノリタケに使われた金彩は金の含有量が高く、重く豪華な輝きを放ちます。
金液は純金を濃塩酸と濃硝酸を3:1で混ぜた溶液で溶かし液状にしたものですが、それまで輸入に頼ってい金液の国産化はノリタケが初めて開発に成功したものです。
D.モールド(石膏型による技法)
オールドノリタケ 石膏型によるモールド
モールドとは生地の成型工程に於いて石膏の型の中に原料粘土を液状にした泥漿(でいしょう 原料の粘土を液状にしたもの)を流し込み、時間の経過で石膏が水分を吸収し液状の粘土が形を作る特性を利用した技法です。
泥漿を石膏型に流し込み、1時間程の時間を置くと石膏が泥漿に含まれる水分を適度に吸収し、5mmほどの厚みの乾燥する前の生地の元が出来上がります。オールドノリタケの石膏流し込みによるモールドの製品はデザインが浮き出るように盛り上がりを見せ完成されていることが特長です。
また、この技法は粘土に彫刻を施したり、和陶で言う飛び鉋(とびかんな 適度に乾燥した焼成前の生地を轆轤を回転させながら細かく彫る)を施すような細かなデザインを石膏の水を吸収する特性で成すもので、現在でも大型の花瓶や置物などに生かされています。
E.エッチング
オールドノリタケ エッチング
生地の特定の部分を酸で腐蝕させ、そこに金を施す方法。生地の腐蝕した部分には艶のない金の装飾、生地に腐蝕のない部分には艶の良い金の輝きが装飾される。
オールドノリタケだけでなく現在の大倉陶園等でも『金腐らし』などとも言われ使われている技術です。
当時は現在の技術とは異なり、生地にコールタールでデザインを模った型紙を張り付けて、それをフッ化水素を用いて釉薬を溶解させる方法で型紙を剥がすと腐食していない部分は艶のある輝いた金が、釉薬の腐食した部分は艶のない重みを持った金色に装飾されます。現在のエッチングはフッ化水素には毒性があるために、この方法は用いられずサンドブラスト(細かな金属や砂を吹き付けて細かく表面の艶と輝きを消す方法)により行われています。
F.タペストリー
一般的にタペストリーとは絵模様を織り出した綴織を言いますが、オールドノリタケで言うタペストリーとは布目を生地の表面に表す方法で、生地の表面が乾燥する前の柔らかな時点で生地に布を貼り付けてから焼成すると焼きあがった後の生地には布目が残ります。そこに、刷毛で彩色を施す方法です。
縄文土器のように、縄でデザインを残して縄を取り除き焼成するものと、布も一緒に焼成するタペストリーは全く工程の異なるものです。
G.エナメル
オールドノリタケ エナメル
オールドノリタケで言うエナメル技法はエナメルのような光沢のあるガラス状の盛り上げで、顔料により色々な色(ブルー、ピンク、茶色等)が使用されており、金盛と併用してアクセント的に使用されました。
エナメル装飾は彩色された生地に施されるだけでなく、金盛りやコバルト顔料の中にも施されワンポイントのアクセントであったりもしました。七宝焼やヨーロッパのアンティークジュエリー等にある金属と粉末のガラスを焼き付けた方法とは全く異なります。
H.ハンドペイント
オールドノリタケ 手描き・ハンドペイント
オールドノリタケのハンドペイント(手描き)の多くは上絵付と言われる装飾技法で、釉薬を施し本焼成を終えてから筆を使い描きます。
上絵付けは本焼成を終えてから釉薬の上への絵付けですので絵付けや装飾に用いた顔料が高温の焼成によって壊されることがありません。従って、和陶の世界でしばしば見られる呉須や染付のような焼き物とは異なる華やかな色彩の作品を作ることが比較的自由出来るのが特長であり利点でもあります。
I.転写
オールドノリタケ 転写技法
転写技法は同じデザインを多数生産するための技術で、絵柄を印刷したシート(転写紙)をプラモデルの絵柄を付けるシールのように素焼きの生地または完成生地に張り付け再度焼成し製品化する技法です。
明治時代には既に転写紙が輸入されていますが、ノリタケによる転写紙の製造は大正時代に始まりました。オールドノリタケの時代から使われてきた転写技術ですが、その進歩は目覚しく、現在は大部分の絵付けを施された陶磁器製品に応用されれいます。また、金などの金属も転写紙に印刷され陶磁器が製品化されています。
   
  それらの技法以外にも、オールドノリタケのデザインのモチーフ、構図が素晴らしい事、緻密で繊細な仕事による高い品格の製品である事も見逃してはなりません。

3.オールドノリタケ・アールデコ様式

3-1 アールデコとオールドノリタケ
一般的にアールデコとは直線的で合理的なデザインと幾何学模様、原色の対比などが印象的で、1920年代から1940年頃までにフランスを中心としたヨーロッパからアメリカ、特にニューヨークで人気となった装飾デザインです。
ノリタケのアールデコにはラスター彩で表現されたきらびやかな製品も多くみられます。それらの作品は食器類ではなく、意匠を凝らした装飾品が多かったようです。
アールデコのグループをさらに分類すると
( A )人物図案 ( B )動物 ( C )花と植物・果物 ( D )風景 ( E )幾何学模様 などがあります。
これらのデザインも平面に描いた物の他に立体的に作られた陶製人形や大型の花瓶などの置物があり、オールドノリタケとノリタケの製品にもそれらの形や模様を組み合わせた物を見ることが出来ます。 
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に流行ったので『大戦間様式』、また1925年(パリ万博の翌年)、万博でのアールデコ様式の展示品の多くがアメリカの博物館・美術館で展示され、アメリカの主要な百貨店でアールデコのデザインの展示会が開催され人気を得たことなど、パリ万博から世界に広まったので『1925様式』などとも言われています。
アールデコのデザインはオールドノリタケを始めとした食器類だけでなく、建築 家具 壁紙 絵画 宝飾品 ファッションなど様々な分野で流行しました。
オールドノリタケのアールデコ製品はニューヨークのモリムラブラザースがイギリス人デザイナーであるシリル・リーを雇いアールデコをモチーフにした製品を作り始めました。
そして作られた製品は、食器ではなくパリ万博の公式モチーフを基に作られた非常に多くの装飾用のファンシーウェアでした。それらは其々に特長を持ち素晴らしいものでしたが、中でも珍しく珍重されたのがラスター彩を施されたものでした。
当時のアメリカでは自動車をはじめ輝きを放つ金属の家具、金属のランプ、輝く装飾品などが流行しはじめ『輝く様々な物』が至る所で見られたのです。このラスター彩は当時のアメリカでは輝きと豪華さの一部であり、オールドノリタケのラスター彩には優雅さと煌びやかさがあり、高価であることを意味して当時のアメリカのご婦人たちには豪華さを感じさせるものでした。
オールドノリタケのもう一つの特徴は色彩は明るく鮮烈で斬新な表現であったことが挙げられます。
2-2 ノリタケ アールデコの分類
オールドノリタケのアールデコ商品はさらに5つのグループに分類されます。
それらは、A.人物図案  B.動物  C.花と植物・果物  D.風景  E.幾何学模様です。
A.人物図案
オールドノリタケの人物図案には2種類があります。
一つは皿などの平面に人物像を描いたもの、もう一つは立体的に形状で人物を表現したものです。たとえばソルトペパーベティーブーのスナックセットなどがあります。
B.動物
動物をモチーフにしたオールドノリタケにも平面的なもの、立体的なものがあります。ペットとして身近な犬や猫 象やリス孔雀などが描かれました。
C.花と植物・果物
オールドノリタケの花柄や植物のデザインはアールデコだけでなくアールヌーボーのデザインにも多く描かれています。アールデコのオールドノリタケには日本の着物のデザインを思わせるデザインや幾何学模様と組み合わされたもの、ラスター彩で装飾されたフルーツバスケットなどがあります。
D.風景
オールドノリタケの中でも人気の高い風景画は、日本の伝統を取り入れたもの、池のほとりに小さな家を描いた洋風画調のもの、中国風雰囲気のものなど様々です。ラスター彩で装飾された風景画のティーセットなどは見ているだけで楽しいオールドノリタケです。
E.幾何学模様
オールドノリタケの中でも幾何学模様はデザインの種類や数量も少ないもので、コレクターの間では希少価値は高いとされています。
当時の立体派の様式、ドイツのバウハウス(1919年に設立された工芸・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校と、その流れを汲む芸術と芸術作品)のアールデコ様式の作品が豊かな色彩の中に幻想的であったり抽象的であったりします。  
3-3 オールドノリタケ・アールデコ様式とラスター彩
一般的なラスター彩に使われるラスターにはラスター釉(釉薬)とラスター彩(顔料)がありますが、オールドノリタケのアールデコに使われたラスターは後者のラスター彩です。
このラスター彩は金属や貴金属を濃塩酸と濃硝酸の溶液で溶解し、さらに硫化バルサムと化合させることにより樹脂酸金属化合物を生成し、絵付時の塗り易さを高めるためにロジン(松脂)を添加した顔料の一種です。このラスター彩を施し700℃前後の低い温度で焼成すると釉の表面に溶着した金属・貴金属の薄い皮膜ができます。この皮膜が光を屈折させて金属的な光沢であったり真珠のような光沢であったりを生み出します。
このラスター彩は酸、アルカリ、洗剤、熱湯(高温に非常に弱くデリケートです。これらを使用したり作用させると剥げやすいので注意が人用です。したがって、ラスター彩のオールドノリタケは食器には適さず、主に花瓶や置物などの装飾品に使用されています。


オールドノリタケ解説の書籍
 オールドノリタケと国産アンティーク コレクターズガイド
¥4,830(税込)  (本体4,600円+税230円)
 発行 2008年6月20日 (初版本)
 著者 木村一彦  葵航太郎
 発行者 発行所 梅田貞夫  トンボ出版
大型本 335ページ。 カラー写真を豊富にノリタケの歴史と技法の解説、1800年代から製造されたオールドノリタケと呼ばれるコレクターに人気ある製品を多数紹介。裏印も歴史に沿って解説されています。
ノリタケとオールドノリタケの他、東洋陶器、大倉陶園、深川製磁、香蘭社、名古屋製陶などの日本の陶磁器製品と歴史も紹介しています。
※新品・未使用品ですが、絶版により現在は一般に流通していない書籍です。
本体に表示されている消費税率が現在の税率と異なる5%ですが、発行当時の価格そのままで販売させて頂きます。
入荷未定
オールドノリタケの裏印の解説など


~オールドノリタケの画帳(画帖)~
ノリタケのデザイナーが明治の初期にノリタケの製品を高く評価したアメリカのお客様からの注文に応えるために描いた見本帳を画帳(画帖)と言います。またノリタケ製品のカタログとしても使われました。今、世界中に散らばった食器と何冊かのデザイン帳だけが、オールドノリタケの時代と当時のノリタケと技術を私たちに語りかけてくれます。

オールドノリタケ 画帳
オールドノリタケ 画帳-2
オールドノリタケ 画帳-3


~オールドノリタケ写真集~

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