《 ノリタケの歴史 》 |
1859年 |
|
森村市左衛門 海外貿易を志す |
1876年 |
|
東京都銀座4丁目に森村組創業
大倉孫兵衛 森村組に参加
森村豊 佐藤百太郎らと共同でニューヨークに『日の出商会』を設立 |
1878年 |
|
『日の出商会モリムラブラザーズ』設立 1881年『モリムラブラザーズ』と改称 |
1882年 |
|
モリムラブラザーズ 小売業から卸売業に営業転換 |
1885年 |
|
約売注文の受注開始 |
1896年 |
|
東京 京都などの絵付工場を名古屋に集約開始(1898年完了) |
1897年 |
|
白色硬質磁器開発研究のため、飛鳥井孝太郎をヨーロッパへ派遣 |
1903年 |
|
『日陶3.3生地』完成 |
1904年 |
|
日本陶器(名)創立 大倉和親代表社員就任
第1号窯火入れ |
1907年 |
|
自社用研削砥石の製造開始 |
1908年 |
|
芝浦製作所(現 (株)東芝)と特別高圧碍子の製造について提携 |
1912年 |
|
製陶研究所を設け、衛生陶器の製造研究を開始 |
1913年 |
|
25cmディナー皿の焼成に成功 |
1914年 |
|
日本初のディナーセット完成 |
1915年 |
|
アメリカ ラーキン社より食器を大量受注 |
1917年 |
|
衛生陶器部門を分離し『東洋陶器(株) 現 TOTO(株)』を設立
日本陶器(株)を設立 日本陶器(名)を吸収合併 |
1918年 |
|
自社磁器製造用転写紙の製造を開始 |
1919年 |
|
碍子部門を分離 日本碍子(株)を設立
大倉孫兵衛 和親親子 大倉陶園を設立
森村市左衛門 逝去 |
1920年 |
|
大倉孫兵衛 逝去 |
1925年 |
|
日本で最初のIBM計算機を導入 |
1932年 |
|
ボーンチャイナの研究・製造を開始 |
1939年 |
|
工業研削砥石の本格的製造開始 |
1943年 |
|
第二次世界大戦により食器生地製造・絵付中止 研削砥石製造へ全面転換
政府よりボーンチャイナ技術保温の指定を受け製造を継続 |
1945年 |
|
食器の生産再開 |
1947年 |
|
米国ノリタケ(食器販売)設立 |
1956年 |
|
ノリタケ金属食器製作所を設立 |
1957年 |
|
社是『良品・輸出・共栄』を制定 |
1958年 |
|
ノリタケオーストラリア(食器販売)設立 |
1960年 |
|
ノリタケカリフォルニア(食器販売)設立
レジノイド砥石製造を開始 |
1961年 |
|
クリスタルガラス製造工場操業開始
日本レジン工業(株)(メラミン食器製造)を設立 |
1967年 |
|
伊勢電子工業(株)が蛍光表示管を開発
伊万里陶業(食器製造) 九州陶器(食器製造)を設立
厚膜回路の印刷技術開発 |
1968年 |
|
ノリタケカナダ(食器販売)設立 |
1971年 |
|
世界初のCBNホイール完成
ドイツノリタケ(食器販売)を設立 |
1972年 |
|
スリランカにランカポーセレン社(食器製造)設立 |
1973年 |
|
強化磁器『プリマデュラ』生産開始 |
1975年 |
|
『ノリタケローラーハースキルン(連続式焼成炉)』販売開始 |
1981年 |
|
『日本陶器(株)』を『(株)ノリタケカンパニーリミテド』と社名変更 |
1983年 |
|
遠赤外線セラミックヒーターを開発 |
1987年 |
|
ドイツ フランクフルトに『ノリタケ ヨーロッパ』(食器・工業機材・電子部品販売)を設立 |
1988年 |
|
ノリタケタイペイ(化工機材販)設立 |
1991年 |
|
ノリタケ香港(食器・工業機材・電子部品販売)を設立 |
1993年 |
|
世界初のリブグリッド蛍光表示管を開発 |
1994年 |
|
米国の業務用食器市場に進出 |
1997年 |
|
セラミック電子部品焼成用として『レインボーキルン』を開発
イギリスにアイトロンU.K.(電子部品販売)を設立 |
1998年 |
|
伊勢電子工業(株) 三重大学と共同で世界初のカーボンナノチューブを用いたFEDを開発
ノリタケデンタウサプライ(歯科用材料販売)を設立 |
2001年 |
|
ノリタケの森を開設 |
2004年 |
|
創立100周年
則武(上海)貿易有限公司設立 |
2007年 |
|
太陽電池用焼成炉を販売開始 |
2011年 |
|
上海に食器ショールームを開設 |